日本ではタトゥーに偏見がある人が多いですよね!
タトゥー、刺青をしたい人は温泉などに入れないだけでなく、
その偏見を持たれることが嫌だとか…
ファッションの観点からどうしても入れたいとか色々な考えがあるのは理解できます。
ただ、タトゥーを入れる⇒偏見を持たれる⇒偏見が多い日本はくそ
上記は、意味が分かんないです…
偏見が悪なんて誰が決めた?偏見メガネは最強ツール
そもそも、偏見って悪いものだとおもっていませんか?
「それって超偏見じゃね??」
「偏見は辞めてください!」
とか、偏見=悪というシチュエーションが多いですよね!
でも、そう思っていたとしたら、それ自体が偏見じゃないでしょうか?(笑)
というか、どんなことでも悪い面、いい面があるのが当たり前。
偏見を持つことにもデメリットだけじゃなくて、メリットがあるんです。
人間社会の中で、きれいごとを抜きにして関わってはいけないヤバい人達って結構いますよね。
偏見は、ヤバい人を避けるための最強のツールです。
世の中、2つの道があります。
この関わってはいけないヤバい人(リスク要素をたくさん持つ人)と関わるのか。
それとも、
ヤバい人の可能性が高い要素をもつ人をなるべく避けて、その他の人と積極的にかかわるのか。
もちろん、偏見を持たずに、一見ヤバそうな人と関わってみて、実はいい人で生涯の親友になった。なんてケースももちろん存在するはず、、、
そして、刺青をして、タバコをスパスパすって、他人を威嚇しているファッションをしている人は避けて、それと反対のタイプの人と関わっていたら素晴らしい人に囲まれていたという例。
いわゆる、【高リスクルート】と【低リスクルート】ですね。
どっちを選んだっていいはずですし、自由なはずです!!
問題は、偏見を否定するってことは、【低リスクルート】は認めないという考えになってしまっていること。
偏見という、人間がどんな人と関わるかを選ぶための色メガネは”邪悪”だから使うな!って言っているも同じ。
みんなが、「他人の見た目を気にせずに違いを受け入れて」っていう理想に生きる必要があるのか?
そんなわけない!と僕は強く思います。
(言っておくと、これは、選民思想とかとは全然違います。一方が一方を選ぶのではなく、お互いがお互いを選びあう関係の話だからです。)
そして、考えてみてください。
どちらのルートを選んでいても素晴らしい人々とは出会えるはずです。
ただ、確率が高いのはどちらなのか??
また、どっちが危険なのか?ということ。
(人間関係を確率とか、リスクとか冷たい言葉で片付けられるのはイヤという気持ちも分かりますが、説明するうえではこの言葉は避けられません。)
もし、子供が生まれたら、子供にはなんていうか?
もし、子供がうまれたら、
偏見否定派の人はなんていうんでしょうか?
僕は、偏見メガネは使っても、使わなくても自由だとは思っていますが、
偏見メガネは本来人間が持っている防御反応です。
自身の子供には大いに使わせたいと思っています。
まずは、こういうでしょうね。
「しらない大人が、飴とかを配っていたら近寄らないで逃げなさい」
この知らない大人がイイ人な確率は、もしかしたら高いのかもしれません…
でも、逆だった時のリスクは???
さらわれて、殺されてしまう事件が日本にもたくさんありますよね。
それと同じ。
「タトゥー、刺青の人を見かけたら関わらないようにしなさい」
そのように言うはずです。
だって、人間は自分の子供を守る権利がありますよね。(自分自身も)
たとえ、上記の発言が、ファッションでタトゥーをしている人からしたら面白くなくても、、、
偏見メガネで、人間関係を低リスクに選ぶ権利がある!
他国ではタトゥーはメジャーで、日本は偏見まみれでイヤだから変えたいって言っている芸能人もいます。(りゅうちぇるとか)
こうした様々な声を受け、りゅうちぇるさんは8月21日、自身のInstagramを更新。
「いろんな意見を、ありがとうございます。…それなりに予想はしてたけど、こんなにも偏見されるのかと思いました。こんなに偏見のある社会どうなんだろう。仕方ないよね。ではなく、僕は変えていきたい」と思いを綴った。
https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/ryuchell-tatoo-link
「こんなに偏見のある社会どうなんだろう」りゅうちぇる、タトゥー批判の声に「僕は変えていきたい」
まあ、勝手にすればいいのですが、、、
他人からは、
この偏見メガネによる低リスクな人間関係を選ぶ権利は奪うべきではありません。
(細かく言うと、リスクは避けるというよりは、リスクを選ぶということ。仕事などで世間一般的でいわれているリスクを取るのは大いにあり)
タトゥーが入っていなければ安心なのか?
タトゥーを入っていない人と関わるのが、安心とは限らないだろ!!って思う人もいるかと思いますが、
たしかにそうです!
タトゥーをしていようがしまいが、人間だという時点で関わるのにリスクはつきものです。
だからこそ、
ヤバい人を見分けるために、偏見メガネを使って、すこしでもリスクが高そうならそれを見分ける必要があります。
タトゥーをしていない人のリスクが50だとしたら、
そこにタトゥーがあるという事実が加わって、70になるって感じ。
そして、
街中で歩きたばこをしていたらリスクは90になり、
道に唾を吐いていたらリスクは100を超えて…
となっていきます。
逆に、話してみて本当に良い人だったということももちろんありますよね!
だから、高リスク型な人はタトゥーをしている人に積極的に話かけてみたら良いと思います。
でも、低リスク型な人にそれを強制するのっておかしいですよね???
そして、日本においてタトゥーが避けられること=差別というのはおかしいという話です。
100人の村の中にいたとして、3人がタトゥーをしていたとします。
短い人生の中で関われるのは、20人だとします。
そしたら、積極的に3人にかかわるのではなく、残りの97人と積極的に関わろうという道を選択しても勝手でしょ?ってこと。
偏見メガネを使用する権利=関わりたい人を自分で選ぶ権利
それを犯すな!!って言っているんです。
タトゥーの自由
タトゥーを入れるのも個人の自由。
タトゥーをしている人を避けるのも個人の自由なんです。
だから、お互い勝手にやっていけば良いというのが結論。
それによって、
避けられるのは差別だ!おかしい!といきり立つのはちょっとね…。
日本の歴史の中でタトゥーが偏見メガネの対象になっているのは事実。
だって、本人にはファッションでも、他人から見たら恐怖の対象になりかねないから。
なので、
それが耐えられないのなら、
①海外で生活する
②タトゥーはファッションだと平和に認めさせる
しかないですが、
②をされちゃうと便利な偏見メガネの性能が落ちてしまうので、どうかそのままの状態でいて欲しいと思う。
ここまでで言いたいことを例えてみると
たとえば、
アナタが羊だとします。
偏見メガネというアイテムを使うことで、初めて自分以外の動物の種別が分かるとします。
ある日、偏見メガネで見てみると、狼がいることに気が付きました。
狼にも、心がキレイで生涯親友になれる狼が100匹に1匹の確立で存在しています。
では、分け隔てなく羊のアナタが狼と仲良くするべきでしょうか?
僕の答えは、
それは自分で選べる自由が認められるべきだということ。
そして、
自分だったら偏見メガネを大いに利用して、なるべく狼ではなく、牛とかヤギとかと親友になるわ!って話。
偏見を許さない!とかいう人は、
狼でも絶対に差別せずにかかわらなくてはいけません!って言っているんです。
もしくは、そもそも偏見メガネ使用禁止を強制して、狼とか、ヤギとか、牛と分からなくしようよ!って言っています。
もし、羊が狼に食べられてもガン無視…
余計なお世話だよ!ってこと。
本当に偏見メガネを否定するなら挑戦して欲しい!
偏見は邪悪!偏見を持つなんてありえない!差別だ!
と思っている方。
アナタのお子さんが生まれたとします。
・タトゥーをしている人(中身はまじめな人かもしれない)
・元ヤクザの人(社会的には現在は更生しているとされている)
・元犯罪者の人(社会的には現在は更生しているとされている)
が、保育士さんだったら安心して預けられるでしょうか?
ベビーシッターとして雇えるでしょうか??
変な例えばなしかもしれません。
え、元犯罪者とかどうしていきなりでてきたの??と思うかもしれませんが、
”見た目や肩書、その人の過去などで判断しない”とセットにして仰る方が多いからです。
(逆に、見た目で偏見を持つのはダメだけど、その人の過去に対してなら仕方ない!ってのも変ですよね?)
アナタが最も大切で、守らなくてはいけない存在のそばに近寄らせることができるのでしょうか??
きれいごとではなく、
偏見を持たない!差別しない!をリアルにポリシーにしている方は挑戦してみてください。
僕には絶対無理です。
コメントを残す